南相馬市小高区、浪江町、双葉町の復興状況を視察(福島視察1日目)

日本共産党埼玉県議団は11月8日~9日にかけて、東日本大震災と福島第一原発事故で甚大な被害を受けた浜通り地方の復興状況を視察しました。
1日目の8日は、日本共産党の渡部寛一南相馬市議の案内で避難指示が解除となった南相馬市の小高区、浪江町、双葉町の現状を調査しました。

 

 

 

相馬市をはじめ除染対象地域では、除染作業によって出た汚染土の仮置き場設置がすすんでいます。視察した小高区の仮置き場は50ヘクタールもの広大な農地に黒い大きな袋のフレコンバックが所狭しと並べられていました。相馬市だけでも、51の仮置き場がつくられていることのことです。3年以内に中間貯蔵施設に移す計画になっています。

 

 

 

旧避難指示区域だった小高地区と原町区の一部では、市内居住者が震災時の住民登録者が4,175世帯・14,279人いましたが、2017年9月30日時点で同区域内に住んでいるのは1,165世帯・2,573人にとどまっています。
小高区では、児童生徒は小学校が62人(予定数371人)、中学校が67人(予定数254人)しか在籍していません。そのため、4つあった小学校(が1つの小学校に統合され、厳しい現状が続いています。長期避難が地域再生へきわめて深刻な影響を及ぼしています。

 

 

 

沿岸部では、第二防潮堤などの護岸工事が急ピッチで進められています。震災当時、この海岸には9m以上の津波が押し寄せ、一瞬のうちに家屋や車を飲み込みました。
 慰霊碑の前で渡部市議は「最大で19mもの津波の高さとも言われている。里帰り出産で生まれたばかりの赤ちゃんと母親も犠牲になった」と当時の状況を詳しく説明しました。

 

 

 


津波被害で発生した莫大な廃棄物を処分するための焼却施設についても説明をうけました。

 

 

 

 

今年4月に避難指示が解除された浪江町では、いまだ津波直後のごみがわきに野積みされ、家屋も当時のまま残されていました。ここだけが、震災7年たってもまったく時間がすすんでいないようでタイムスリップしたような奇妙な感覚に襲われました。

メディアでは福島県の復興が進んでいるように伝えられていますが、原発事故からの復興はまだまだこれからです。放射能汚染jによってもたらされた被害の深刻さをあらためてつよく感じました。
東日本大震災の津波被害と原発事故による放射能汚染被害を風化させないようにする努力が求められています。