熊本地震の被災地(益城町)を視察(九州災害視察1日目)  

日本共産党埼玉県議団の村岡正嗣県議、秋山文和県議、金子正江県議は10月31日、地震発生から1年6か月余り経過した熊本県益城町を訪れ、被災地の復旧・復興の現状を視察しました。

2016年4月14日にM6.5(震度7)の前震、同月16日にはM7.3(震度7)の本震と2度の大地震に見舞われた熊本県では、死者244人、重傷者1,159人など計2,956人の人的被害や、全壊8,663棟、半壊34,286棟、一部損壊153,566棟の計196,515棟の住家被害など甚大な被害が発生しました。被害総額は、県の推計で3兆7850億円にのぼります。

益城町では、布田川断層帯が阿蘇方面に動き、死者37人、住家被害も全壊3,488戸を含め全世帯の98.5%に損壊の被害を受けました。避難者もピーク時に町民の約半数、1万6000人に達しました。

益城町の旧役場で、甲斐康之前町議と合流し、家屋倒壊の多かった木山・宮園地区を巡りました。役場の旧庁舎も被害は激しく、新庁舎への建て替えが決まっているとのことです。

同地区では、家屋の解体が進み、倒壊建物の跡地の多くが更地のまま放置され、雑草が生い茂っていました。屋根の修復ができず、ブルーシートで覆っているだけの住居も少なくありません。
宅地の擁壁は、断層が動いたことで大きくズレてしまったところもまだまだ残され、被害の爪痕の深さを目の当たりにしました。

 

 

甲斐前町議は「宅地の復旧については、国に高低2m以上、2戸世帯に全額支援を実施させ、それ以外の宅地整備にも県の基金から一部支援を行い、何とか進んできた。しかし、自宅再建は、地震保険に加入していた世帯や親子ローン組める世帯では再建が進んでいるが、高齢者など多くの世帯は再建の目途はたっていない」と説明しました。

 

 

益城町の守り神であり、心のよりどころとなっていた神社「木山神宮」も甚大な被害をうけました。現在も、災害復旧事業にかかる公的な財政支援は全くなく、寄付金(御奉賛)を広くよびかけています。

 

 

 

 

布田川断層帯が動いたため、田んぼのあぜ道が数メーター横にずれた場所も見学しました。町が大震災の爪痕として保存するため、ずれたあぜ道をそのまま復旧する工事が行われています。(写真右)

 

 

約500人世帯の入居者が暮らす町内最大のテクノ仮設団地も訪れました。
自治会長の女性からもお話しを伺いましたが、「300万の住宅再建支援金ではとても再建なんかできない。」と国の支援の不十分さを強く訴えていました。夕暮れのなか、遠くの小学校までバス通学をしている子どもたちが帰ってきましたが、被災によって生活が一変した様子を痛感させられました。

 

 

益城町の現地視察に先立ち、熊本県庁で被災者支援に力をつくしている担当者から、熊本地震の被害状況の概要、避難所運営など被災者の支援の教訓や課題について説明を受けました。